通っていた中学校には、不登校の生徒が通う特別室がありました。
通称「別室」と呼ばれ、時間のある先生がたまに訪れて勉強を見ていました。
※保健室やカウンセラー室はまた別にあります。
私の友達や、家が近くて親しい先輩も何人かそこに通っていたので、
私も会いたくなるとそこを訪れ、雑談してから教室に戻りました。
お昼はクラスの何人かが給食を運びました。
これが保健室だったら、いつ来ているかも分からないし、声をひそめて話をしなくてはならないし、先生もいるし、
彼らが元気なのか、気にしながらも気にしないようにする、歯がゆい日々を送っていたと思います。
こういう選択肢もあるんだ、と思わせてくれたことも、私にとって支えでした。
別室の取り組みが始まったのは私が入学してからだったと思います。
うちの中学は田舎にあって、昔から荒れてるという評判で、色んな逸話がありました笑
でも、私の上の学年から落ち着いてきて、進学率も良くなっていたそうです。
しかし小さいイジメは無くならず、毎年、いじめや孤立が原因で不登校になる子供がいました。
私も、クラスや勉強が嫌になると、別室に通いたいと思うこともあったし
一番親しい友達が不登校になりかかったときは、とても焦りました。
「どうしてこんな良い子が、目立つというだけで仲間外れにされるのだろう…弱い私のほうがよっぽど好適なのに…。」
そんなことを考えさせられた時は、給食を運ぶのが辛くなりました。
結局、その友達はクラスに戻ってきました。
また、別室に通わずに仲間外れを乗り切った子もいました。
3年間一緒に過ごせば、色んなことがありますね。
あんなに仲が良かったのに、一生嫌い!と思うほどこじれることもある。
特に恋愛関係のもつれで。
不登校になることも、別室登校をすることも、決断するのはとても勇気がいることだと思います。
別室があることで、不登校と教室登校の間を埋めるものになるとは思います。
学生時代、なぜ教室がつらいか
私の中学校時代を振り返ると、子供だったなーと思います。
経験が浅いので、周りが見えなかったんです。
義務教育なんだから、小中学校の9年間は絶対、教室に通う以外ありえない!と思っていました。
この小さい箱の中で聞くことや人間関係が社会の全てで、ここで失敗したら終わりだとか思っていて、視野がとても狭かったのです。
例えば、クラスの誰かが私を騙してからかうようになり、私は笑って「やめてよも~!」と言いながら、内心では「マジ腹立つ!」と思っていました。
だんだん悲しくなってきて、「どうして私は騙されてしまうんだろう。騙されやすい性格なんだろうか?私がいけないんだろうか」と思い始めました。
時間とともに、そのいやがらせは終わったのですが…。その子を避けるとか絶対にできない。だって、その子はクラスの中心グループにいて、もっと強い子とつながっているから。
大人になった今考えてみれば、相手は私を可愛い、面白いと思ってちょっかいを出してくれていたんです。しかもカースト1の子が、私を楽しんでくれている。こんな貴重なことは無いです。
けど、子供の時はそのことで頭がいっぱいでしたねー。
他にも、親しい友達グループの間でも、「最近はこの子が好きで、今までのあの子とは距離を置こうかな」という風に、人間関係はぐにゃぐにゃと変化します。
別に嫌いになったわけじゃないけど、なんとなく、話したくないなぁ、という期間があったり、急に相手の本性が見えてきたり、優しさが見えて大好きになったり…
その微妙な関係を生きているわけで、それが学校によっては3年間も続くんだから、きついはずです。
大人になれば、少し時間をかけて相手を観察してみようとか、
駆け引きしてみようとか、思うものかも。
教室だけではなく、家の人間関係も入ってきますし、最近は恵まれた家庭はわずかだと思います。
社会が変わってきたので、親達も普通に子育てして生活するのが本当に大変だと思います。
若いうちの病気が増え、非正規雇用は当たり前なので嫌でも共働きで多忙、チェーン店の普及で伝統的な自営業が儲かりにくい時代です。
親も大変、子も大変です。
愛情ある子育てをしたくても、心身が追いつかない現実が日本にはあるんだと思います。
私の友達の中でも何人かは、親兄弟の話をしてくれた子がいました。
詳しくは書かないけれど、当時は、その話に対してどう返そうか随分迷ったもんです。
大人の今は、聞いてあげるだけでもスッキリするかな?と思えるけど、
当時は、「この子に比べたら自分の家庭は問題がないんじゃないか」と思ったり、
「良い答えを出せなければ、この子は悩みすぎてしまうんじゃないか」と私が抱え込んでしまったりしました。
子供は素直でまっすぐなんですね。
別室の話からだいぶ逸れました。
なぜこのテーマで書いたのかというと、今住んでる地域には知られていない不登校の子がいて、学校に別室がないし、勉強を見てくれるフリースクールのような「居場所」がないそうです。
居場所づくり、大事ですよね。整備された図書館があれば大分違うかな。